目醒めた世界へ 

想像してください。「自然と調和したテクノロジーが発達した世界」を「豊かさ」がもたらされ、地球に住むすべての人が「愛」で生きる事ができます。「平和」がやってきます。「自由と主権」が保障されます。そんな世界を作りたいのです!〜オーストラリア・ユーカリの森から〜

主権は国民のもの。メディアの喧伝は疑え。支配からの卒業。

前回の記事でプロミシングな雨予報に興奮して記事を上げたのですが・・・。うーーん、一瞬小雨になるけどすぐ止んでしまうので、まだ0mmのままです。ちまちまとガーデニングもしていますが、全然モチベーションが上がらないです。

 

世界情勢の方はなんか舞台裏が騒がしいような、いよいよ・・?と期待したりしてしまいます。だって藤原直哉先生まで米国にいてトランプタワーやQポスト965をメンションしてたりするんですものー。(観光のヒントを得るために米国に来たとおっしゃっていますが。)

 

表向きの世界情勢は、戦争と分断を煽るニュースで溢れていますね。メディアが煽るもの、喧伝するものは、すべて疑います。っていうか見ないですけどね。

 

私は心をフラットに保つようにして、平和だけを祈っています。

 

今回は、WHOが国家主権の上に立つパンデミック条約を創設しようとしている件について思う事を少し記録しておこうかなと思いました。

はじめ2021年の12月にその事案がオフィシャルで上がって来たのを覚えています。まだ世界中でコロナの恐怖が煽られていて未接種者は迫害されている頃でしたから、これが決議されたら、もうディストピアの始まりだ!と、正直😱😱な気持ちで、でも🥶🥶しちゃいけない!と自分に一生懸命言い聞かせながら情報を追っていました。

5月に採択のはずだけど、何も起こらなかったじゃん。失敗したの?と2022年に思っていました。2023年また同じ事言ってるけど、5月また何も変わってないじゃん。やっぱり失敗したの?と思っていました。

でも初めから2024年5月に提出・採択を目指していたのですねー。だから2024年5月の第77回WHO総会が本命。阻止しなければいけません!

 

絶対にNO!です!! 

主権は国民のものです。

選挙で選ばれたわけでもない、営利目的の民間企業が権力を握っている機構ですよ。そこに主権を渡してしまう事に疑問を感じない事は「愚の骨頂」です。日本外務省  オーストラリア健康省 政府の動きを監視しないといけないです。

 

ただね、実は、これは実現しない。と個人的には予想しています。

だって2021年当時は、湯水のようにあちら側がお金を使っているのが感じとれましたし、テレビもネットもコロナパニックが喧伝されていました。あちらの主要人の新しい動画が次から次へとメディアに上がって来ました。勢いが半端じゃなかったです。そしてそれを信じている人たちが世の中の大半でした。

でも今はどうですか?(もしかして日本のテレビだけはまだそうだったらどうしよう!?😰 まさかまだマスクしてたりして!?🥶)日本はわかりませんが、世の中は全く質が変わったと思うのです。静かですよ。あちら側の人のニュースは写真だけの事が多いです。動画があってもいつのものだかわかりませんし、流れている空気が違うのです。そもそも話題に上がらないし、あっても惰性に感じるくらいです。

 

とにかく注意を怠る事はしませんが、少し楽観的です。

 

望む世界に思いを馳せてみる。

 

戦争のない、分断のない、強制のない、自由な世界。

 

自由な世界が調和するためには、

 

多様性を認めて、お互いを尊重して、助け合う。

 

愛が基盤にあれば可能です。

 

そんな世界にするためには、

 

まずは自分の目の前で

 

それを実現していくしかないと思っています。

 

集中するところはむしろそこだけだと。

 

しかし、こうやって考えてみると、一神教(monotheism)って、

 

さたっちの●のエッセンスの濃縮度が半端ない。

 

多様性を全否定してきますからね。

 

これが人々の分断に利用されている。

 

でも●のノロいを認識する人が増えれば増えるほど

 

この数千年の間人類にかけられていた

 

●のノロいから解放されるって事。

 

●のノロいは「支配」

 

「支配からの卒業」

 

 

✨夜明けは近い!✨

 

 

何気に書いた「支配からの卒業」という言葉で、その後そのフレーズがぐるぐるぐるぐる。私は当時中学生のドンピシャ世代ですが、つまらない平凡な学生だったので、どハマりする事はなかったのですが、それでも聞いていました。改めて今尾崎豊さんを見ると、魂を削るように歌うその姿にインディゴの爆発するようなフラストレーションのエナジーと苦悩を感じて胸が痛くなりました。本当にブルドーザーのように既存の価値観を壊しながら自らも傷つきながら戦ったんだな。と思いました。社会に強い反抗心なんてなく、ぼやっと大人になった私のような人間でも、支配されたくないというそのスピリットは植えつけられていたのかもしれない。なんて「この支配からの卒業」という言葉に思っちゃいました。

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