目醒めた世界へ 

想像してください。「自然と調和したテクノロジーが発達した世界」を「豊かさ」がもたらされ、地球に住むすべての人が「愛」で生きる事ができます。「平和」がやってきます。「自由と主権」が保障されます。そんな世界を作りたいのです!〜オーストラリア・ユーカリの森から〜

神聖なマントラ:たった二言

”So What?” 
だから 何?」

もしくは

”Who Cares?”
「人が何を言うかなんて どうでもいいでしょう?」

この響きって、日本の人にとっては、「うわぁ、勝手・・・。」って思えるかもしれないですね。私も日本にいた頃は、そう思ったと思うのです。

でもふと気がつくと、私結構そんなメンタルになっている気がします。まぁそこまでアイロン(鉄)メンタルではないかもしれないですけど。

この言葉、私がぐずぐず悩んだり、言い訳を考えている時に、夫がよく言うのです。20年以上言われ続けているうちに、私も開き直ってきたのか、厚かましくなってきたのか、最近はあまり言われなくなっています。そしてちょっと清々しいんです。

物事ってなんでもバランスだと思うのです。

これを「今だけ金だけ自分だけ」のメンタルで使うと、怖いですよね。サイコパスです😨。自分はなりたくないです。(かと言ってそんな人をジャッジする気もないのです。だってそんな重い波動で存在していたら引き寄せで同じ波動が自分に返ってくるだけですから、ご愁傷様と思っています。)

でも日本人は、このマインドも持つべきなんだと、今強く感じています。「自分軸で生きる・孤高の心を持つ・自分の心を強く保つ」事を大切にすべきだと。

本当に全てがバランスです。

前回記事で書きましたが、にわか漫画ファンの私ですら芦原妃名子先生がこの世からこんな形で突然いなくなってしまったという事実が衝撃すぎて心にダメージを受けています。この出来事は意識の世界に小さくない波紋を起こしたと思うのです。

今日はピロさんも記事をあげていらっしゃいました。純粋な光を拡げる魂で、純粋がゆえに、防御が必要だったと見えたようです。作品からも本当にそんな印象を受けます。

ameblo.jp

でね、冒頭の言葉に戻るのです。

So What? のマインドです。

私はよく日本の伝統的な文化や精神が素晴らしいと書いています。「和を以て貴しとなす」と、調和を重んじる事は美しい事です。けれどもそれが良くない方に行くと、何が大切なのかという判断が他人軸になってしまうのです。そしてその他人軸で善し悪しを決めて、そこから外れるものを全体にとっての悪だとジャッジしてしまうのです。

逆に個人主義的な西洋文化では(これはあくまでも私の知っているオーストラリアですが。)悪い方へ行くと、わがままなサイコパスになるのですが、バランスが取れている人は、自分軸なのでブレないです。そして相手が自分軸でいる事も認めますので、自分と違う判断をする他人をそれほどジャッジしません。ただ主張は強いので言い争いはします。でもジャッジと討論はちょっと違うんですよね。

ということで、それぞれの長所を認識した上で、私はどうありたいか考えてみました。

自分とは違う他の存在に敬意をはらい、尊重して、自らを省みる謙虚さも持ちながら、自分軸は保ち、ブレずに、心を強く持って、大我の心で生きたいものです。

私、これまでバシャールさんは引用した事がないのですが、ちょっと貼り付けたくなりました。この短い動画は新しいことをチャレンジする事を恐れている男性へのアドバイスなので状況は違うのですが、このパワフルな聖なるマントラ「So What?」が、心が傷つけられている時に、自分軸を保つために効きそうだと思いました。

youtu.be